霧島フォレスト

霧島発信の商品のご案内ほかイベント情報などお届けいたします。

国立公園霧島の麓から自然と一緒に暮らすご提案をお届けします。

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今回ちょい大きめのペットボトルを包んでみようと思います。

格闘のすえ手ぬぐいが疲れてきてるんですが大目に見てください

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色々ある中でもまだやったことがないタイプに挑戦。
首だけちょこんと出して手ぬぐいの上にのせます。

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首を一つ結びしときます。


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クルンと巻いてみます。

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お尻を一回結んで残りをネジネジ…


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ネジネジを最初のひとつ結びにくぐらせます。


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ネジネジをくぐらせてサクッと取っ手に結ぶようにし回したら最初の一つ結びの残りでまた結びます。


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たぶん出来上がり


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イヤ!間違いなく出来上がり



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いやぁ何度見てもまぁ…

ブサイク


皆さんは可愛く作ってくださいねぇ

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これはなんだと思います?
鹿児島県曽於市にある天然のアーチです。
とっても見つかりにくい感じのところにあります。
数年前、新聞に掲載されていたこの場所は七村という穏やかで田んぼがとても美しいところにあたりまえな感じで静かにあります。
これができた過程を考えると知らずに上をちょろちょろと渡っていたことにびっくりしそうです。

ジオサイトに加えて欲しい感じもしますけどあんまり田んぼが綺麗だったのでそっとしときたくなる気分にもなってしまいました。



ところで、少し前に私は知り合いから「七村まで一緒に歩いてみようよ」と言われたことがあります。

そんな簡単に誘われるほど近くはないんですよね。
そこでなぜなのか理由を尋ねました。

昔、都城にいたお殿様の側室にとてもとても美しいまだ20歳にもならないくらいの女性がいました。
彼女はとても美しかったのでお殿様は彼女のことをとても可愛がりました。

しかし彼女には他に好きな人が現れました。
その男性は今の都城市横市あたりに住んでいた身分は低いですが優しくて賢い侍でした。

2人はとうとう一緒に逃げる計画をたて、そして実行してしまいます。

2人が逃げたことを知ったお殿様は300頭いた馬を使い2人を追いかけます。そしてなんとお寺へ行き僧侶に呪詛を頼んだのです。

僧侶は頼まれるがままそれを行いました。

ふたりは必死に逃げたのに呪詛によってなのか七村あたりで道に迷います。
ぐるぐると逃げ回るうちにとうとうお殿様の馬に追い付かれてしまいました。

そのとき呪詛を行なっていた僧侶は側室と逃げた侍は誰だったのだと他の僧侶に尋ねました。
そしてその男の素性を聞くとその侍が普段から僧侶が信頼していたよく知っている青年だったことに気づきお殿様の兵を止めようと慌てて外へ出ました。
しかしそこには馬が出払っていて全くいなかったのです。

そこで近くにいた牛にまたがり、ムチの代わりにまだ若かった梅の木を引き抜き牛のお尻を叩いて追いかけました。

その頃七村では2人は追っ手に囲まれてしまいました。
そしてとうとうそのまま殺されてしまったのです。

僧侶の牛が到着した頃はだいぶ後でした。
間に合わなかった僧侶は無残な姿になった2人を見て言いました。

「お前だと分かっていたら」

僧侶はうなだれて、疲れ果てて牛を叩いていた梅の枝をその近くの地面に突き刺しました。

梅は逆さまの状態で地面に刺さっていたそうなのですが明治時代まで生きていたそうです。

時間は流れてある日、志布志方面から塩を売りにくる商人の間で不思議な現象の話が広がりました。


「七夕あたりになると墓地で二つの光が見える。
まるで踊ってるみたいだ。」

その場所にはその若い2人の墓があるといわれています。


私の知り合いはその墓を見つけに行こうと言ったのです。歩いて行こうと言ったのは彼らが逃げた道を進み、その梅があった場所を横切りお墓が本当にあるのかを行ってみようと。

そのとき私はまだ半信半疑でしたし、今はそっとしとこうよと言う気持ちにもなって聞き流していました。

冒頭の写真の場所へ行くことになるまで忘れていたのです。


人々から窯と呼ばれる天然のアーチを撮影しようと喜んで行ったのですがなかなか入り口が見つからず、私たちは地元の方に声をかけて一緒に行きました。
景色を堪能して帰る時、ふと七村という名前に引っかかって独り言を言いました。

「そういえば七村の幽霊って話を聞いたよなあ」

すると地元の人の顔が変わり「うん、その言い伝えはある。なんで知ってるの?」

そう言われました。

やっぱり本当にいたんじゃないの…



田んぼとトンボに酔いしれていい感じになっていた気分が吹っ飛びましたね。






日本の至る所で迷信のような、ただの物語のようなそんな話はたくさんありますがきっと何かの根拠があるんでしょうね。
ただ面白がるんじゃなく、歴史の中で起こった事実として寄り添うような気持ちでその土地の過去を振り返るといろんなものが見えて来る気分です。

侍が住んでいた横市は私の家から車で10分くらいの場所なんですが、そうやって自分が知らないだけで身近なところにもドラマは意外と転がっているのです。

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こちらは1576年にアルゼンチンで見つかった隕石でして自宅に飾ってあります。

今日はちょっと面白いことがあったのでこの隕石から名前の中にあるジオについてお話ししたいなと思います。

数日前、私と同じ苗字の女性からメッセージが突然来ました。
実は人生2回目のメッセージです。前回は大学にお勤めされている先生でした。

私の名前は日本でも少ないほうです。

ほとんど何らかの形で親戚だったりするほどなんです。

そこで私のご先祖のお話をさせてください。
私のご先祖は鹿児島県奄美大島に住んでいました。そこでご先祖は今とは違った苗字で生活していました。
今回は特に関係の深かった「平さん、祈さん、初さん」のお話です。
それぞれには意味があり、平和と平等を重んじる平さんと、主にクリスチャンが多い祈さん、島にもともと古くから住んでいた初さんです。

その昔、奄美大島には大きな隕石が降ってきました。そして人々はその場所を星でできた窪みと言って星窪と呼びました。
その場所は奄美クレーターと呼ばれ現在も確認できます。

item_153525_1出典ぐるたび
確かに言われてみればクレーターのような入り江です。

この隕石はこの島に大きな影響を与えたと思います。
冒頭の写真にある隕石はその種類を鉄質隕石といい、オクタヘドライトという鉄質隕石では一般的なものです。
このような隕石がこの規模で奄美に落ちたらきっとその土地は何かしらの影響を受けたでしょう。

奄美大島には大島紬という泥染め技法の織物があります。

どういうわけか他の島ではなく奄美大島にその織物はあります。
その独特の色を出すためには鉄分を多く含む土とシャリンバイ(車輪梅)という植物が必要です。
なぜ大島紬が生まれたのかどうやらこの隕石は関係していたんじゃないかなと私の夢は膨らむわけです。
ここからは私の仮説。大きな鉄質隕石はもしかするとこの土地の鉄分を変えてしまったかもしれません。2013年に奄美クレーターを調査したチームによると、勝手にできたとは思えない鉄の検出をしたそうです。
そういうことで大島紬は梅と星と人間の共同作品だったのだろうと考えるわけです。

大島紬がこの島を特別なものにしたように、星の影響を受けたことはほかにもあったでしょう。


そこで話は戻りますが私のご先祖です。

大正から昭和初めにかけて、正確なことはわかりませんが「1文字で書く名字を2文字に変更せよ」という役場からのお知らせが来たそうです。

そこで1文字だった平一族、祈一族、初一族はそのままでいる人と変更を選ぶ人とに分かれました。

そこで変更を選んだ人々は、昔、その村には星が降りその恩恵を受けて生きてきたことを思い「星が降った村」ということで「星村」という苗字にすることにしました。

今回突然私にメッセージをくれた女性も奄美クレーターの存在でこの苗字になったとおじいさんから聞いていたそうです。

名前の中には歴史と土地のストーリーが詰まっていて、たった数文字の漢字の中に壮大な物語があるのだろうと思います。

私は同じ苗字の方に会うと尋ねることがあるんですがそれは「私は初一族です。あなたは何ですか?」です。

彼女は「私は平です」と言われましたし、その前の大学の先生は「僕は祈です」とおっしゃいました。
そして「私たちは家族なんでしょうか?」と尋ねると「ええきっとそうだと思いますよ」とみんな言います。
奄美の独特な歴史から生まれた苗字はとってもジオパークです。

きっと日本人の名前はみんなそうなんだろうと思います。

霧島ジオパーク手ぬぐいで包み方アレンジを作ってみました。

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今回このビールをお土産包みします。

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まず手ぬぐいの裏面に缶を置きます。
このとき、お尻が向き合うようにした方が開けた時にラベルが上を向くのでいいと思います。
それから缶の距離ですが缶の底2つ分くらい空けます。

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手ぬぐいで缶をクルクルと包みます。

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立ち上げたときに綺麗に手ぬぐいがまとまるので一回だけクルッとひねっておきます。

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そのまま両端を掴んで持ち上げて、缶を立てます。

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頭の部分を結びます。

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持ち手を作るために残った生地をネジっていきます。

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しっかりネジたら輪っかを作るようにして結んだら出来上がり

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とっても安定してます

凄いですね!手ぬぐい

手ぬぐいをゲットしたらやってみてくださーい

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ここは飛行機の中を再現した場所。
小さいですがリアルです

鹿児島空港の二階にある展示室です。

去年に撮影したものです。長く飛行機に乗ることがないのでちょっと楽しい気分になります。
ありがとう鹿児島空港さん


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世界中の航空会社の飛行機が閲覧できるなんて知らなかった!!
写真では片方だけですが両面ずらーっとあるんです。

FullSizeRenderこれちょっと個人的に気になったやつ

FullSizeRenderなんかよく見るけど小さいのもあったんですね。

そして古い飛行機も大好きという方にはこういう展示も!!!
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もうニヤニヤがとまりませんがな。なんで今までここを素通りしていたんだろう

今はコロナで県内外の行き来はとても繊細な気分になりますね。
でも地元の人に地元を見つめてもらえるチャンスが来たというものですよね。

行ってみると実は面白いというものがもっとあるんでしょうね

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新年あけましておめでとうございます。

昨年はオリンピックで賑わっているはずだったのですがコロナに翻弄されていろんなことを考える1年でした。

そんなときも友の会のメンバーの皆さまはコツコツといろいろなことを考えてくださいました。

ありがたいことです

去年の暮れからテスト配信していたオンラインショップを少しずつですが本格始動いたしますので今年最初のブログでご案内させていただきます。

『ムササビの家』霧島ジオパーク友の会オンラインサイト

こちらではただいま霧島ジオパーク手ぬぐいなど取り扱っております。
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商品は少しずつですが増えていきますのでお楽しみに。

オンラインサイトのへのお問い合わせはムササビの家チャットへお尋ねください。

地域をテーマにした皆様の商品もお待ちしておりますのでお問い合わせくださいね



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霧島市役所へ行ったことがありますか?
市役所へ用事がなくても行けるとこ。そんな感じの場所です。
中にはカフェやレストランもあり、図書館やミーティングの場所もあります。
フリーのお茶マシンもあるんですよ。

今回その霧島市役所にあるメディアセンターで10月24日に防災シンポジウムは行われました

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小川さんと井村先生。
会場はこんな感じでハートフルに始まりました。



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こちらは宮崎にある紫麓窯の窯元山下さんによる火山灰から生まれた特殊な輝きを放つ焼き物たち。
新燃岳、桜島、阿蘇の山々がそれぞれの力で生んだ黄金の光を持つ皿。
そしてそれぞれの山の力が合わさって生まれた虹色の輝きを持つジオ虹彩という皿が今回やってきました。
近くで見ていただいた方にはお分かりいただけたと思うのですが、焼き物なのに鉱物のような繊細な輝きです。
作った山下さんでさえきっと不思議じゃないんでしょうか。

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こちらは徳田屋さんのピーチマップ
たぶん霧島ジオパーク断トツのベストセラーな商品ではないでしょうか。
小さなお子様から山好きな大人、視覚がご不自由な方にも触って感じていただける。
そんな無敵の小さな霧島連山は水にも強い。霧島登山の思い出に郵便で送れるタイプもあるというシリーズです。
火山実験にも使われる大人気の立体地図です。
お買い求めは道の駅霧島、道の駅えびの お問い合わせは株式会社徳田屋まで


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今回のお話は御嶽山噴火に学ぶ人々の心理や防災への取り組みです。
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霧島ジオパーク友の会理事長井村先生からのご挨拶とお話しです。
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たくさんのマスコミの皆さんが駆けつけてくださいました。
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最初は小川さんのお話。
震えるような、そして目の前に見えるようなその光景は御嶽山がどれほどの悲劇に襲われたのかわかります。
そしてそれが新燃岳で起こったら。彼女が身近にいるジオガイドだったとしたら。
隠れても襲い掛かる噴石。ボロボロになったリュック。
もしそれがジオガイドの誰かだったら。
ジワジワと涙で潤んできました。

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そして早川先生。
衝撃的な言葉と映像。
噴石が体にぶつかり肉と骨を砕きます。その痛んだ体の写真からどれほどの衝撃で石が飛んできたのが伝わりました。
ゾッとするようなその現実に火山が持っている闇の部分を改めて知ったようでした。
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小川さんだからわかるその状況でできること、できないこと。
生き延びるための数時間の戦いを綺麗ごとではない数時間として話されました。
なぜこの日マイクを持って話すことができたのか。
本当にそこにいたのかと言われるほど過酷な時間からの生還です。
小川さんは「確かに私はそこにいた」とボロキレのようになりながら小川さんの体を守り続けたリュックを証に語ります。
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ソーシャルディスタンスで守られた会場とオンラインからの閲覧のみなさん。
そしてマスコミの皆さん。
ただ防災を訴えるだけのシンポジウムではなかったことをこのとき見られたと思います。

その時信じられるものは自分自身だけだったこと。
今のコロナと同じなのかもしれません。
まだ大丈夫、たぶん大丈夫だと思うのは勝手です。でも一人ではない。
自分には家族がいたり仲間がいるんです。
元気で生きているだけで安心してくれる人がいるのです。

過去の自分だけが今の自分を助けます。リスクを知っているのにたぶん大丈夫だと勘に頼って命を懸けることはまるで高速道路で逆送の車に乗るようなことかもしれません。

今回この会場はソーシャルディスタンスをとってマスクをし、入るときには体温を測ります。
そして熱が分かれば入場を断ります。
もしも事前に感染者が県内で増えていたら開催自体を考えたでしょう。

そしてそれを案内し、その安心への努力を担保にしてこのシンポジウムは開かれたのです。

そんなこともしない会場だったら誰も集まらなかったでしょう。

100点はないけど、現実と向き合いできることをし、先を見据えた決断をする覚悟をもってそれが自然というものだと考えていく姿勢はかっこいいのではないでしょうか。
無理やり咲かせた花は簡単に枯れるものです。

現実を誠実に発信し、自然に対する潔い判断は人を守り、人も学ぶ。それは全くネガティブなイメージなんてない観光地として選びやすくなるのではないか。
そういうことを考えた日でした。












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でかでかと載せましたがすみません。インスタ、すでに生まれていました。
アカウントをお持ちの方はkirigeo.tomonokaiで検索してみて下さ~い!!(*´∇`*)